NHK・ETVで、立花隆さんの「広島・長崎の被ばくの記憶を若者につなぎ、核兵器のない世界をどうやって実現するのか」を見た。明日への希望が湧いてくる番組だった。
立花隆さん74歳、がん患者だ。1940年長崎生まれだが、原爆投下の時には家族の都合で長崎にいなかったので命は助かった。しかし、生まれた病院が爆心地に近く、長崎の原爆記憶は心に深く刻まれている。大学を出てすぐは、核兵器のない世界を実現するため世界の運動に参加していた。
当時は、被ばくの実態を知れば核兵器の撤廃は世界で実現するだろうと思っていた。核兵器があるのは、核の悲惨さの実態を知らないだけで、知ればなくなるだろうと思っていた。そのため広島長崎の悲惨な写真を持って海外に出かけていた。
しかし、その後、核兵器を持っていなかったイギリス・フランスなども核兵器を持つようになってしまった。それは、世界は、「核兵器のおかげで第2次世界大戦を終わることができた」と思っていたからだ。世界は原爆を評価する社会だったことを知った。そのころ、日本の原水禁運動にも失望したこともあり、その後は核兵器問題を仕事で扱うことは無くなってしまった。
しかし、年齢を重ねた今、この世から被爆者がいなくなる日も近いことに気が付いた。被爆者がいなくなることは、原爆の記憶がなくなっていくことに繋がることから危機感をもち、原爆の記憶を若者に継承していく必要を強く感じるようになった。
核兵器の問題を語るとき、「核の抑止力」を声高に主張する人がいる。しかし、これまで核戦争を回避できたのは、広島・長崎の被ばく体験があったからだ。被爆体験をこの二つの町が丁寧に伝えてきたから、その頑張りが「核の抑止力」をはたらかせたのだ。
年月が過ぎ被爆体験者がこの世からいなくなる時代に直面して、被爆体験を若者に継承していくことが今とても大切だ。被爆体験のない若者にいかに承継していくのか。継承は簡単ではない。
「ノーモア広島・長崎」と日本人はこれまで広島・長崎を被害者としてしか話してこなかったから、被害体験のない若者に承継の負担がかかるのではないか。若者に承継するには被ばく体験を加害者としての私、被害者としての私を一体として同時に考え伝える必要があるのではないだろうか。
立花さんは長崎大学の若者に向かって「歴史はその時代の世論、世相を反映する。だから若者の努力で時代を変えることは出来る。カナダでは若者の運動で核兵器を廃絶させた。若者の議論に周りを巻き込むことが大切だ。それには熱意と言葉だ。熱意があれば世の中を変えることができる」とまとめている。
久しぶりに明日への希望が湧いてくる番組だった。
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